チェンさんのつぶやき 

 

Cheng Yanyi

チェン・イエンイー 

 

平成24125

 

copyright 2012 Cheng Yanyi

 

はじめに


1.狭い地震国に原発はそぐわない

2.なぜODAを大盤振る舞いするの?

3.愛国心を育てよう

4.検察を質す

5.島田紳助追放が語るもの

6.時代にそぐわない自動車教習所

7.さらばエリート官僚たち

8.官僚の実質所得は多すぎる

9.官僚にだまされるな

10.日米開戦はアメリカのやらせ

11.日米開戦の経緯

12.日本軍は原爆投下を知っていた

13.トレイシー日本兵捕虜秘密尋問所

14.日本は戦費をどうやって調達したの?

15.アメリカにドイツの情報を提供していた元陸軍中将

16.日米開戦に反対だった廣田弘毅

17.税理士も天下り?

18.消費者金融への過払い請求

19.競争のない産業―日本の銀行

20.金太郎飴のような個性のない街や住宅の景観

21.医療費控除をもっと広げよ

22.日銀の支店ってなにやっているの?

23.小学校で教える英語

24.中学からの英語

25.金融のこぼれ話

 

(1)「金融」とは

(2)アメリカの不動産と住宅ローンの実情

(3)個人ができる賢い資金運用って?

(4)企業によるリスクがない運用とは

(5)本当にあった「忍者ローン」

(6)株価はどう決まる?

(7)ゼロサムゲームとは

(8)個人用の小切手

(9)実需がない金融

 蛇足

 

はじめに

 

昨年の東日本大震災の後、原発事故の対応などの茶番劇を目にし、この国はこのままだとだめだと強く感じるに至った。

原子力安全・保安院なんて御用組織があるのも知らなかった。加藤茶似のスポークスマンの国民を小ばかにした説明にむかついた人もたくさんいたのではと思う。

この国にはこういった血税を食い物にする組織や団体が無数にあるが、もうそんな余裕は許されない。いつの間にかこういうシロアリがたかる構造が作り上げられた。

日本は官僚の、官僚による、官僚のための社会主義国だとつくづく思う。それも世界で唯一成功した社会主義国だ。

俺たちは頭がいいから愚民を管理しなくてはと思っている官僚は多い。民間人は君たちより頭が悪いかもしれないが、人間として劣ることはない。人情もバランス感覚もある。皆が皆利己的に自分の幸せだけを追求しているのではない。法律で許される唯一の例外「緊急避難」は日常茶飯事。家族を守るためには法律の枠を外すことだってある。それが生きていくってことだ。痛いところをつかれたときに彼らが好んで使う「民間だって」という甘えは許さない。

近年贈収賄やインサイダー取引などを犯す官僚は枚挙に暇がない。根っこにあるのは清貧と公僕の意識の欠如だ。庶民とはかけ離れた収入や待遇は貴族意識を助長させる。そういった声を力にして糾さねばならない。

被災地を訪れ、自然の驚異と自分の無力を悟ると同時に、それまで気になっていたことを文章にすることを決意した。

とりとめもなく日頃考えていることを思いつくまま綴ったが、提議した問題の一つでも読者と共有できれば本望である。

腹が立てば、くそっ、チェンと唾でも吐いてもらっても結構だ。

まだ本文は執筆途中であることをご理解願いたい。

(尚、本文で引用する人物の名前は敬称を略させていたくのでご容赦願いたい)

 

 

1.狭い地震国に原発はそぐわない

 

原発の安全神話は崩れた。直ちに全施設廃止の方向に向けて進め!

 

福島第1原発事故が起きた直後1~2週間の間に、海外の友人からいくつかメールを受け取った。

筆者が事故現場からは遠くの東海地方に住んでいるのを知っているのにもかかわらず、放射能汚染が心配だから、直ちにアメリカに避難して来いというものも複数あった。最初はあまりにも大げさだと思ったが、後ほどそうではないということが分かっていった。

原子炉のメルトダウンが始まっているのになぜ政府は楽観的な報道しかしないのか疑問視するメールも目立った。5000トンのコンクリートで周りを直ちに固めるべきだとか、国家存亡の一大事なのに、なぜ東電に処理を任せているのかなど後から考えれば的を射たものだった。(これらは20113月中のやりとりであることを強調しておく)

政府としてはパニックが起きてはいけないと思うのと国民感情も大事(おおごと)になって欲しくないという気持ちがそうさせているのだと答えたが、彼らが指摘した心配が次々とその通りとなり不安はどんどん拡大していった。

原発事故がなければ気にもしなかったのだろうが、日本には54ヶ所も原発があることが知れ渡った。こんなに増えたのは国が原発を推し進めてきたからだ。安全で、火力発電のような環境汚染の心配もなく、他の発電に比べコストも安いというキャッチフレーズを掲げ、原発立地地域対策交付金として補助金が湯水のように周辺地域にばら撒かれた。いいことしか言わないのとどんどん充足する地域インフラの整備で地域住民も骨抜きにされていった。

原発はいったん動きだすと出力を調整できない。よって夜間に電力が余るとその電力で下部ダムからポンプで水をくみ上げて、上部ダムに水を戻すことをやっていた。これって理屈はひねくり回せば分かるが、どう考えたっておかしい。

 

表向きの理由とは別に、原発推進には自民党の政治資金が絡んでいた。

資源がない日本では原発は必要であると、中曽根康弘元首相(1954年に日本初の原子力関連予算を要求した時は改進党に所属)などが中心となり、国策として原子力発電を推進してきた。1955年に原子力基本法、1974年に電源三法が制定された。

電力業界はこれに呼応するように選挙や政治献金で自民党を支援した。電力各社でつくる電気事業連合会は80年代前半から11年間で自民党機関紙の広告費約65億円を賄った構図がある。通産省(現在の経済産業省)もその手先であった。

一方電力供給側の東京電力はどうだったのか?彼らは政府の意のままだった。彼らを監督するのは政府=原子力安全・保安院だけで怖いものはない。何かあれば政府が後ろ盾になってくれる。そんな関係で歴代経産幹部の天下りも受け入れてきた。天下りの見返りとして政府は厳しい監督をせず、安全基準の見直しもなかったのが今回の大惨事の遠因だ。

これらの腐れ縁を断ち切ることと、原発は安全でないことが分かったので直ちに全施設廃止の方向に向けて進むべきなのは明らかだ。

 

2.なぜODAを大盤振る舞いするの?

 

財源が底をついている。ODAの予算を減らしその分東日本大震災の復旧・復興に使うべきだ。

 

2010年の日本の純ODA(政府開発援助)は実質で11.8%増の110億ドル(約8000億円)もあるが一体そんなお金を出すほど財政的に余裕があるのか疑問である。

古いデータだが、外務省の平成21年度当初予算は、約6,700億円。外務省枠のODA予算は、約4,363億円で、外務省予算の約7割とかなりの部分が外務省所管である。

かつて日本は1993年から2000年までの8年間ODAトップの座を保っていた。外務省は91年から連続10年世界一(トップ・ドナー)とODA白書などで自慢していた。(速報値ベースではそうだが、確定値では93年以降が正しい)

ODAに力を入れた背景には国際連合安全保障理事会(安保理)の非常任理事国から常任理事国(現在はアメリカ合衆国・イギリス・フランス・中国・ロシア)に昇格する狙いがあった。それが外務省の長年の悲願でもあった。2005年にドイツなどと手を組んで常任理事国入りを推進したが、中国などの反対とアメリカの支援も得られず徒労に終わった。次は2015年の国連70周年をターゲットに動いているとも聞く。

ODAを否定するつもりは毛頭ないが、母屋でおかゆをすすっているのに、離れですき焼きを振舞った感がある。あの勝手気ままな中国にだってODA供与をしている。中国へ支払っているODAは総額30兆円に上っているとどこかで聞いたけどにわかには信じられない。金に色はないから、宇宙ステーションや空母建造に使われていると言っても過言でない。なぜそんなことになるのか?理由ははっきりしている。政府に影響を及ぼす力のある外交官連中に中国サポーターがいるからだ。

外務省には、研修語ごとの語学閥(スクール)がある。特に結束が固いのが親中派で固められたチャイナスクールだ。人事も硬直的で中国課長経験者が中国大使に就任するのがお決まりのコースでもあった。中国政府はかれらを味方につけるべく、まだ海のものとも山のものとも分からぬ語学研修時代からあの手この手で巧みに若手外交官を手なずける。(具体的な例をいくつかは聞いているが確証がないのでここでは書かない)

チャイナスクールの力は19896月に発生した天安門事件の後の経済制裁凍結にも発揮された。世界中の国々は中国政府の行動を非難、欧米諸国は経済制裁を発動し日本も当然これに倣った。しかし外務省は世界中から批判を受けている中国に日本が恩を売れると考え政府に圧力をかけODA凍結を解除した。礼節を重んじる中国は恩義に感じ、外交をスムーズに運べると目論んだ。その結果は靖国、尖閣諸島問題など知っての通り中国の態度を増長させることになった。

もう経済大国になった中国へのODA供与は止めるべきだ。どうせ文句を言ってくるだろうが、今中国は身勝手な国民性があちこちで露呈し世界中で顰蹙を買っている。ほっておけばいい。

 

3.愛国心を育てよう

 

国を否定するところからは何も生まれない。皆で助け合い国を築いていくために教育はある。けなす教育ではなく“よいしょ”教育もやろうではないか。

 

教育改革が叫ばれてから久しい。これまでも文科省で色々な改革がなされてきたが、失敗も数知れずあった。たとえば生徒間の競争を煽らないための学校群制度やゆとり教育。後者導入の動機は純真で気持ちは分かるが、生徒の平均学力は落ち、学級崩壊やいじめもなくならなかった。

今求められている教育の理想は、愛国心に溢れ、国家・社会に貢献し、広く世界で活躍できる創造性豊かな人格者を育てることにある。それに既成の答えではなく、自ら問題を発見し、解決する能力も求められる。

日本では愛国心を育てる教育が久しくなされてこなかった弊害があちこちに噴出している。

例えばマスメディア。戦時中のように闇雲に時の政権に迎合しろなんて言わないが、大手メディアには大局感をもって国益を論じられるジャーナリストが少ない。政治家の些細な発言のあら捜しや重箱の隅をつついたり、揚げ足をとったりしているのは木を見て森を見ず、がっかりだ。パパラッチもどきのスクープ、低レベルのけなしや批判はタブロイド版の領域だろう。

多くのメディアがそういう傾向にあるのは、ジャーナリストも凡そそういう教育を受けてきたからだ。冷笑文化というか、権力に対する嫌悪が根本にあるのではないだろうか。これは情報発信側だけでなく情報受領者側もそれを望んでいる節がある。

多分敗戦後、世論は戦前のあらゆるものの否定からスタートした。毛沢東の文化大革命に近い文革が日本にもあったのだ。それを担った紅衛兵の役割は日教組に属する教師でありメディアだった。国旗や国歌の否定まで。戦争で疲弊した国民もそういった現象を容認した。

鬼畜米英と戦い、初めて負けたショックはそれほど大きかった。

歴史を戻す。13世紀の元寇では神風が国を救った。タイミングよく台風が彼らを襲わなければ、弱体化していた鎌倉幕府では完敗し、元の隷属になっていたはずだ。日清戦争、日露戦争とやはりつきが日本に味方し、特に後者では奇跡的に勝利した。大東亜戦争(当時日本政府は太平洋戦争をそう呼んでいたが、敗戦後連合国に使用を禁じられた)もきっと神風が吹き勝利すると信じていた。その信念が根本から崩れ去ったのが敗戦のみじめさだった。

自虐史観も過去の否定から生まれた。しかし国を否定するところからは何も生まれない。皆で助け合い国を築いていくために教育はある。振り落とす教育ではなく復活した敗者を褒め称える“よいしょ”教育もやろうではないか。

大手メディアさん、どの政権でもいいけど、たまにはマイナーなところは目を瞑り、いいところがあれば褒めてやろうじゃないか。

 

4.検察を質す  

 

検察官は大物政治家を逮捕するのが目的ではなく、腐敗をなくす。巨悪を眠らせない。それが目的ではないのか。

 

先に国益とか愛国心の大事さについて触れた。その根っこにあるのは人としての倫理観だ。秩序は乱していけない。悪いことはやってはいけない。そんな当たり前の常識を備えた人が検察官であって欲しい。

司法試験は超難関で旧司法試験制度での合格率は3%程だった。現役または20代半ばまでに合格する人が“頭がいい”人で一目置かれた。

一般的に頭がいいとは学業が秀でていることであり、記憶力や読解力も優れていることも意味する。頭がいい=難関校に合格=尊敬という社会風潮もあった。猛勉強をして、人をはねのけてまで頑張らないとこんな試験は受からない。多くの検察官もこういった環境を潜り抜けてきたはずだ。司法修習を終えて検察官に任官されれば、もう怖いものはない。あらゆる悪を懲らしめることができる。検察にタブーはない。巨悪を抉り出し罰するそれが使命だ。彼らに制限を加える人はいないのだから、高い倫理観が要求される。

東京地検特捜部が主導したロッキード事件は真実と証拠に基づき地道な捜査をした結果、田中角栄元首相を受託収賄罪および外為法違反容疑の疑いで逮捕、他にも佐藤孝行元総務庁長官や橋本登美三郎元運輸大臣が逮捕されるという戦後の最大の疑獄事件になった。この事件を教訓に悪徳な利益誘導型の政治家は減っていった。検察のお陰だ。

私腹を肥やすような政治家がほとんどいなくなったのに、検察はなぜかまだ大物政治家を逮捕するのを夢見ている。ともかく検察には政治家は悪だという偏見が主流のような気がする。小物政治家逮捕に血道を上げないで、やくざ組織の壊滅や麻薬やマネーロンダリングなどを取り仕切る不良外人組織の撲滅に力を注ぐことの方が国益に繋がるのに時代錯誤だ。実態は無罪なのに、振り上げた腕を下せないので法律をこね回して犯罪者に仕立てる。そういった倫理にもとる国策捜査は止めにしてもらいたい。

 

北方領土支援にからむ偽計業務妨害で有罪になった佐藤優、経営破綻していないライブドアの粉飾決算で有罪になった堀江貴文などどう考えたって検察が意図したものからは大きく外れ冤罪だ。

前者は国後島におけるディーゼル発電機供用事業発注に絡み便宜の見返があったわけでもなく、後者は経理処理を税理士資格のある役員に任せていて、会計的な解釈で「粉飾」ではないという議論もあるし、彼が指示したわけでもなく、未だに彼自身納得できていないだろう。生意気な時代の寵児。(裁判官の)心証を害したから懲役26ヶ月。なにか理不尽だ。司法によるベンチャー企業のいじめとしか思えない。この事件でこれから伸びようとする多くのベンチャー企業の芽を紡いでしまった。

大阪地検特捜部の主任検事が証拠改ざんを行った村木厚子元厚生労働省局長冤罪事件もそうやった国策捜査で生み出された冤罪事件だ。大物政治家を逮捕するのが目的ではなく、腐敗をなくし、巨悪を眠らせない。それが目的ではないのか。検察官バッチにこめられた秋霜烈日の意味をかみしめて自らも諌めて欲しい。

一般企業で働いている人は皆分かっているが、IQが高いことと仕事ができることはイコールではない。採用時、常識人としてのバランス感覚や人格を厳しくチェックし、倫理観に溢れた人材を検察に集めて欲しい。

 

5.島田紳助追放が語るもの

 

最近強化された暴力団排除の見せしめにされた。警察当局から過去の捜査情報が流され、知っていて黙っていたメディアの一斉攻撃がはじまった。

 

島田紳助の芸能界引退について色々と言いたいことがある。

各自治体で暴力団排除条例が施行されてから、警察は徹底して暴力団を排除する動きが出てきた。紳助と山口組系暴力団の関係は以前から掴んでいた。警察を愚弄するメールがいくつもあった。警察上層部は見せしめに紳助を上げることを決断し、紳助は引退に追いやられた。“危ない芸人”でありながら絶頂期が続く彼は警察権力の目の上のたんこぶ。そろそろやるか。そんな単純な動機だったと推測する。

一方世間には、出る杭(又は釘)は打つというか、紳助のような行き過ぎた成り上がり者を叩く風潮があるのも否めない。師匠とあがめられ紳助はともかく悪乗りしすぎた。

ところで成り上がり者とは、低い身分や境涯から、高い地位を得たり、金持ちになった者とものの本には書いてある。一般的には不相応であるという気持ちをこめて使うので基本的に悪いイメージだ。英語にこれに匹敵する言葉はない。成り上がりは必ずしも悪いことではないからだ。因みに辞書には成り上がり者はupstartとあるが、日本語のような悪いニュアンスにはならない。同じ成り上がりでもタモリ、明石家さんま、松本人志なんかはそういうことが分かっていて一線を越えないし警察を敵にまわさない。彼らは賢い。

 

かつて国家が敗戦の荒廃から立ち上がるには、物言わずコツコツと働く組織や集団が不可欠だった。よって教育では「秩序」に極端な重きが置かれた。ある意味で60年代の荒れ狂う学園闘争はその反動の表れでもあった。個性があり弱いと思われる生徒(小中)はいじめを受けた。筆者もその一人だった。学業以外で、目立つとろくなことはなかった。

成り上がり者を国家権力が排除した例もある。古くは今太閤と呼ばれた田中角栄、ちょっと前までは件のライブドアを起業した堀江貴文だ。

紳助が絡んだ犯罪すれすれの悪行がいくつも暴露されているが、それが本当ならテレビのコメンテイターや司会なんてとんでもない。なぜそんな公序良俗に反する人間をメディアは放置し、出し続けてきたのか。確か法律の専門家たちが出演する番組もあった。彼らが紳助の挙動を知らなかったとは言わせない。警察からすればそんな悪党をここまで「泳がして」きたのか?疑問は尽きない。

バラエティ番組を見ることはほとんどないが、視聴率に結びつく様々なバラエティ番組の寵児だったのは間違いない。

引退の記者会見があってから不思議なことが2つあった。それまで叩かなかった週刊誌の一斉攻撃と親しかったタレントたちの黙秘である。いつも歯に衣着せぬ発言をする和田アキ子だって。報復を恐れているのではない。だれもその程度の悪行や交際はいいのではないかと心で思っているからだろう。

聞けば、十数年前、関西テレビ制作のバラエティ番組「紳助の人間マンダラ」での紳助が前日収録に遅れそうで、慌ててタクシー乗り込んで局まで飛ばして走っていたら、軍歌流してゆっくり走っている黒塗りのワゴン車があり、なかなか進まず、彼らに向かって罵声を浴びせた。ワゴン車は停まり、降りてきた男たちとたわいない誹謗のやりとりがあったが、その隙にタクシーを走らせ収録に間に合ったという自慢話をしたところ、政治団体が激怒。その後同局に街宣車が来てトラブルになった。芸能界を辞めようとまで悩んだ紳助は、親友の元プロボクサー渡辺二郎に相談。彼が組長に話をつなぎ、トラブルは解決した。今なら警察に言えば済んだはずだが、当時、警察はそんなことで動いてくれなかった。止むを得なかったと思う。彼の悪行については大いに反省してもらいたいが、この事件後彼が取った対策については仕方がなかったのかなと思う。

この一点については同情を禁じ得ない。

 

6.時代にそぐわない自動車教習所

 

運転免許試験場の技能試験をやさしくし指定自動車教習所はなくそう。

 

司法試験、公認会計士試験など日本は受かるためではなく落とすためにある国家試験が多すぎる。国家公務員採用1種試験もそうだが、こういった難易度が高い試験に合格しさえすれば努力しなくても食いっぱぐれることはない。永代供養を保証してくれるような職業や制度はそもそもおかしい。例えばアメリカではそのような公的資格は比較的簡単に取れるが、その資格をメンテするために研修や勉強が義務付けられ、資格者同士で競争させるのでうかうかできない。だからコストに見合った質のいいサービスが期待できる。

難易度も種類もまったく違うが、運転免許試験場での技能試験も落とすための試験だ。かなり運転がうまくても基本的に落とす。欧米では地域によって程度の差はあるが、こんな意地悪はしない。やれば大騒ぎになる。

交通は安全が一番である。これは絶対だ。重大事故の被害者になっても加害者になっても悲劇だ。加害者にならないために誰だって最新の注意を払う。別に役人や警察におせっかいを焼いてもらう必要はない。

ともかく自動車は今や当たり前の移動手段で、普通自動車は操作が簡単なオートマチック車がほとんど。最早、指定自動車教習所を卒業しないと習得が難しい技能ではない。

人によっては指定自動車教習所(全国に約1500ヶ所)に行かなくてもそれができる人もいる。ならばそのような人には技能試験の合格を与えるべきだ。運転は自己責任であり、教習所を卒業したって乱暴なドライバーを減らせる効果はない。

ペーパードライバーで運転に自信がないなどの理由で教習所に通うのはいいが、猫も杓子も高い教習料を払って指定自動車教習所に通わなくてはならないのは理不尽だ。

道路交通法で指定自動車教習所を卒業すると運転免許を取得する際の技能試験が免除されるとなっているが、これが天下りのために悪用されている。

自動車教習所を取り仕切る社団法人全日本指定自動車教習所協会連合会は内閣府(警察庁、国家公安委員会)の所管であるため、会長、専務理事、事務局長等の要職は警察庁または警視庁からの天下り先となっている。

収益のうち2割弱が加盟会員教習所からの会費。8割が刊行物等の販売によるものであるそうだ。指定自動車教習所の学科教習で使用される教材は事実上その制作、出版について民間出版社による参入が認められていないので市場の独占状態となっている。運転免許の更新時講習買わされる「交通の教則」ってまず読まない。これもこの社団法人への上納金だと思うと腹立たしい。実態を精査し、行政改革と事業仕訳で槍玉に挙げて欲しい。

 

7.さらばエリート官僚たち

 

国難のときは偏差値エリート官僚に国を任せてはいけない。なぜなら庶民のどん底の痛みがどんなものか分からないからだ。

 

ストレートにトップを歩んできた者より、失敗を繰り返して乗り越えてきた者の方が逆境に強いし、リーダーシップも発揮できる。国難のときは偏差値エリート官僚に国を任せてはいけない。なぜなら庶民のどん底の痛みがどんなものか分からないからだ。

マリー・アントワネットのように、民衆が貧困と食料難に陥った際、「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と発言はしないだろうけど、国家公務員宿舎(官舎)はウオッシュレットもない劣悪な環境だと政治家に言わせていた官僚もいたから。

官僚にまず驚かされるのはその国語力である。かつて言語明瞭意味不明で有名になった竹下首相がいたが、その乗りで行くと、彼らは言語明瞭意味曖昧な言葉を巧みに駆使する。言質から責任を取らないためのテクニックである。前例があれば、断定的な表現も使うが、それは前例があることで自分が責任を取らなくて済むからだ。

前向き、善処、検討、当面の間、早急、一定の目処。このような曖昧語は枚挙に暇がない。時にして当面は2,30年後を意味し、早急は2,3年後まで伸ばせる。善処に至っては、善処すればやらなくてもいいのだ。日本語は怖い。

 

官僚組織には、国家公務員採用1種試験(かつては高等文官試験)という難解な試験に合格した偏差値エリートこそが国家を支配すべきだという思いあがりがある。個人個人はいい人でも彼らは集団になると恐ろしい力を発揮する。残念ながらそれを支えていたのは知的レベルの高い中級層であった。典型的には、難関の東大法学部に入り、国家公務員採用1種試験に合格し、キャリア官僚になれば一生を保証される。そういった特権階級を生み出すシステムが容認される背景には、彼らは優秀で政治家よりも官僚に国を託せば間違いはないという国民の信頼があった。実際、官僚たちは、戦後生産力水準が戦前最高時の水準を回復した1955年から1974年に国内総生産がマイナスに転じるまでの約20年間、「自分が国を背負っている」という気概を持ち清潔で気骨があった。

欧米と肩を並べる国づくりが目標だった時代に「官」が果たした役割は大きかった。粉骨砕身で国に奉じたことに敬意を払う。(多分70年代までは)薄給で馬車馬のように働いた代償は、キャリア官僚が一生安泰に暮らせる天下りシステムだった。

資本主義世界全体も飛躍的発展をしたが、日本の経済成長率は年平均10%と群を抜いていた。しかし経済の高度成長が続き、統制や規制よりは基本的に自由競争にするという流れの中で、国のために尽くすという使命感は薄れ、1980年代後半から1990年代初期までのバブル景気頃、民間がこんなに贅沢をしているのに少しくらいはいいだろうと慢心になった。ノーパンしゃぶしゃぶなどの痴話騒ぎはその典型である。

 

省益あって国益なし。そういった悪癖を破り、本気で公務員改革をしようとした官僚が少なくても二人いる。高橋洋一と古賀茂明である。

高橋洋一は元財務官僚で増税する前に、まず政府の無駄な出費を減らすことを主張し「さらば財務省!」を著した。大蔵官僚が数字に弱いという指摘なども切り口が鋭く新鮮だった。

古賀茂明は元通産・経産官僚で、所属省庁別に実績を評価する現行制度の下では、官僚にとって天下り先の拡大が最大の目標になり、こうした人事制度を改革しなければいけないとしている。的確な現状分析と本質的な問題点を浮かび上がらせた「日本中枢の崩壊」はきわめて分かりやすく小気味いい。彼らのように勇気を持って旧弊を打ち破り、私心を捨て遮二無二に国民のために働く公僕であって欲しいと願う。

 

8.官僚の実質所得は多すぎる

 

霞ヶ関で働く官僚は優遇され過ぎている。天下り先の廃止や人件費をもっと大胆に削るべきだ。

 

昔アメリカの大学で不動産鑑定の授業を受けていたとき、鑑定はかなり恣意的に作れることを教わった。売り側は高く査定し、買い手は安く査定するから、経験豊富な不動産鑑定士の鑑定価格でも両者に40%も違いが出てくることもあった。アメリカの不動産鑑定士はMember of the Appraisal InstituteMAI)と言うが、MAImade as instructed(ご希望価格に作ります)と皮肉を言われる所以だ。

これがこのタイトルと何が関係するかと思うかもしれない。彼ら官僚の待遇はどう調べても非常に分かりにくい。というより霞ヶ関サイドから出される資料にうそはないが、隠されていることが余りにも多い。だからMAIよろしく官僚により恣意的に低く作られた数字に抵抗してみたい。ここでいろんな数字が出てくるが、数字の時制や正確性に拘らずその本質を見て欲しいのだ。

「総務省統計局の資料によれば平成20年現在で国家公務員の数は605,733人です。また、人口千人あたりの公的部門の職員数(総務省調査)は、フランス88.8人、アメリカ78.2人、イギリス77.8人、ドイツ54.9人、日本32.0人です。日本の公的部門の職員数は、フランス、アメリカ、イギリスの半分以下です。国家公務員に限ると、フランスの30.1人に対して、日本は2.6人で、なんと10分の1以下の人数しかいないのです」なんてトーンでやるものだからいかにも少数精鋭で頑張っているような印象を与える。

少人数で仕事をこなすので給与所得が民間より高いのは当たり前と言いたいのだろうか。最近の資料が手元にないので古くなるが、平成19年度の国家公務員の平均年収は約663万円と民間平均は約406万円よりは高い。約25万人に上る自衛隊員の平均年収のデータがないが、身内の例からこの水準より明らかに低いと思う。従い一般の国家公務員の平均年収はその分高いのではと思われる。ついでながら自衛隊員の定年は幹部にならなければ53歳。幹部でも天下り先はほとんどない。一般の国家公務員と同列にされるのは可哀想である。筆者は震災時、昼夜兼行で奉仕する自衛隊員には畏敬の念を抱いているのも付け加えておきたい。

 

本論に戻す。民間との年収比較だけでは公平ではない。

高額な退職金(天下り先の報酬や退職金も含む)や優遇された共済年金、ただのような官舎の家賃(東京都心で市場価格が30万円の4LDK3万円で借りられるとすれば27万円は実質所得だろう)なども報酬に加えるべきだろう。いや21万戸もあるそうだが、いっそ全部売却したらいい。転勤の多い役人はどうすればいいかって?民間のアパートに住めばいいし、必要ならもちろん正々堂々と正当な住宅補助を出せばいい。それが適正かどうかは納税者が判断する。国有財産の処分による歳入と不動産産業にとっては活性化の一助になるのは間違いない。

屋山太郎によれば2008年現在,公益法人・特殊法人・独立行政法人の数は4,576。大半は採算のとれない赤字法人ばかりなので、国庫からの補助金などで126047億円,1法人あたり26億円、天下り一人当たり4億円補填されているという。しかも厚生労働省所管の「労働政策研究・研修機構(在東京都練馬区石神井)に勤務していたジャーナリスト若林亜紀によれば,こうした法人には仕事はほとんどなく、若手でも週三日、課長でも週一回、部長に至っては月に一回しか来ない人もいるという。

平成22年度の予算ベースにおける公務員人件費は財務省主計局の資料で、国が5.2兆円、地方が21.7兆円だそうだ。薄給で働く自衛隊員もいるのだから公務員の給与を全体で10%下げるなんてナンセンス。霞ヶ関の高給取りの実質所得を6掛け程度にすると波及効果が出て全体の人件費が抑えられる。

公益法人・特殊法人の役割は所管の省庁に戻すか民間に渡せばいい。天下りの役人は働いていないのに多額の報酬をもらっている。これが問題だ。町の清掃をするとか、老人介護をするとか、優秀だった頭脳を使って子どもたちの勉強を見るとか・・・そういった社会に役立つ働きをするなら民間より少し上乗せしてあげてもいいが、どうでもいい外郭団体を作って法外な“ふんぞり返り代”は税金から払えない。

給料を上げるだけのためにある人事院も入らない。今ある公益法人・特殊法人は全部なくし、その分減税するとか福祉や教育に回すことが急務だ。

 

日本の税金は割高感がある。これは官僚が作る形式的な数字ではない。

例えば、筆者の住んでいたノルウェーの消費税が24%。所得税も高めだが、税金の40%を福祉にあてがわれ、老後は安心して暮らせるし、医療費や教育費は無料なので、税金が高いと本気で文句を言う人はいない。日本ではそういった見返りが不足している。

松下幸之助はかつて「100万円納税した人は150万円分の見返りを得られるようにすることが、国の役割だ」と話していたそうだ。極めて言い得て妙である。

 

9.官僚にだまされるな

 

消費税を上げる前にやるべきことがまだまだたくさんある。

 

2011年度の国の総予算は、「一般会計」と「特別会計」を合わせた総予算の歳出が2202754億円(前年度比2.4%増)となり過去最大の額となった。
内訳は、国債の利払いなど37%、社会保障(年金、医療)34%、地方交付税7%、文教及び科学振興費3%、公共事業費3%、国防費2%、その他14%。

国債の利払いや社会保障で71%、歳入では新規国債発行額が税収を大きく上回る44兆にも上り、今や政府債務が家計金融資産を上回ると財務省が騒ぎ、消費税率を10%に引き上げる根拠にしているが、元財務官僚の高橋洋一氏が極めてロジカルにそのまやかしを切って捨てているので紹介したい。

家計金融資産(約1200兆円)は資産と債務を差し引きしているのに御用経済学者が使う政府債務は債務残高だけで公平さに欠ける。資産と債務を差し引いた債務は600兆円を下回っており家計金融資産の約半分だ。また先進諸国の中で日本の金融資産残高は対GDP比で80%以上ありずば抜けて高い。(OECD平均で40%以下)

最近忘れられてしまった「埋蔵金」だが、氏によれば有価証券91.7兆円、天下り機関への資金提供で213.5兆円(貸付金155兆円、出資金58.5兆円)、運用寄託金121.4兆円があり、財政再建には十分な資産がある。よって当面消費税など上げる必要はない。ともかく官僚の既得権益を死守するために(社会保障目的税化した)消費税引き上げを許してはならない。

天下り機関はすべて廃止するだけでも200兆円以上。公務員宿舎を売却すべきと既に書いたが、こういった無駄の廃止も大きな財源となる。

そもそも消費税は中央からではなく地方の財源とし、実情に合わせて歳出すべきものであるという氏の主張も賛成だ。

氏は為替レートが通貨発行量で決まると言っている。例えば現在ざっと日本が140兆円、アメリカが2兆ドルなので70/ドルとなる。これは「高橋法則」と言われ、過去を検証すると不思議に当てはまる。法則が正しいとすれば、日銀が日本円を200兆円発行すれば、100/ドルとなる。(日本の金融緩和政策による量的緩和は20063月にやめてしまったので、収斂しきれずに、その後の日本の引き締めによって円高に向かった。米国の量的緩和次第で相当な円高圧力が継続するとも)

御用学者から日本の財政破綻も懸念されているが、国債の直近の保険料率(CDS*による100%保証)は1.4%(因みにギリシャは70.1%と超ハイリスク)とドイツ(1.0%)、英国(0.9%)に近く債務不履行リスクは極端に低い。

 

CDSとは「credit default swap(クレジット・デフォルト・スワップ)」の略称。債権発行体の債務不履行(デフォルト)に対する保証・保険を金融商品化したもの。

 

10.日米開戦はアメリカのやらせ

 

表向きは宣戦布告が遅れ、騙まし討ちとしているが、アメリカは事前にそれを知っていた。

 

戦争は避けられたのか。答えはノーだ。フランクリン・ルーズベルト大統領は日本を挑発して戦争おっぱじめるように仕向けていた。ABCD包囲網で物資を断たれた上に、決定的に理不尽なハル・ノート*を突きつけられたりする中で国威を発揚するには、無謀は承知の上で、アメリカに対し戦争を挑むのは自然の流れだったのかもしれない。短期なら勝ち目はあると踏んだかもしれないし。

ともかく2,3年で白旗を揚げていれば、将来ある若者の犠牲者はもっと少なかっただろうし原爆投下などには至らなかった。

戦争は誰が引き起したのか?もちろん軍部のタカ派が主導していったのは紛れもない事実であるが、世論がそれを容認していた。その流れに迎合するメディアの罪も大だと考える。戦争に傾注いていく中で命を張って反論を唱え抵抗する、あるいは戦争に突入してから体を張って抵抗するジャーナリストがいなかったのは残念だ。戦時中、朝日新聞をはじめ多くのメディアが軍部の広報部的役割を果たしたにも拘わらず未だに自己批判すらない。

話が逸れたが、かつてイギリス、フランス、スペイン、ポルトガル、オランダなどは植民地政策により国を潤してきた。その内情は先住民の村落での殺戮・略奪であったにも拘わらず、「東京裁判」が行われることはなかった。例えば、インカ帝国を滅ぼしたフランシスコ・ピサロ、アステカ文明を完膚なくまでに粉砕したエルナン・コルテスなど白人国家による有色人種国家に対しての殺戮、略奪、奴隷、植民地支配は是とされた時代が続いた。幼稚な武器しか持っていない農耕民族は野蛮な狩猟民族に陵辱され支配されてきた。白人は何をやっても許されるが、アジアの小国が中国植民地化をするのは許さない。そんな人種差別が根っこにあった。アメリカは自ら仕掛けず、窮鼠猫を噛むタイミングを待っていた。戦争を仕掛けられたという大義名分の下に日本をこてんぱんにやっつけることができるから。

 

11.日米開戦の経緯

 

日本大使館の不手際で対米覚書「最後通牒」の手交が遅れ、卑怯な国のレッテルを貼られ原爆が正当化された。

 

ワシントン時間1941126日の午前中、外務省は野村吉三郎大使に向けてパイロットメッセージ(予告電報)を送った。「これから長文の外交文書を送る。それをあらためて通知する時刻にアメリカ側に手渡せるよう、万端の準備をしておくように」予告電報が来ているのに大使館員の送別会を優先させ6日は全員帰ってしまっていたためと言われている。

6日に予告どおり外交断行を伝える電文が届いた。7日朝に電報を読んでそれをタイプし、ハル国務長官に手渡したが、指定の午後1時に間に合わなかった。このことを隠すため東京裁判でも関係者は口を閉ざし、戦後ずっと伏せられてきた。

 

日本大使館の不手際の流れを整理すると

 

外交断行を伝える電報が届く   6日夜半

大使館の電報に海軍武官が気づく 7日午前9
真珠湾攻撃           7日午後120分頃(ハワイ時間749分頃)
タイプ作業終了         7日午後1時50
ハル国務長官に手渡す      7日午後220

真珠湾攻撃(日本時間1941128日未明、ハワイ時間127日)は宣戦布告前の騙まし討ちになったとしている。後にトルーマンは、警告なくパール・ハーバーの我々を攻撃した輩と言い放って原爆を正当化した。

しかし米側はパイロットメッセージや外交電報を傍受解読しており、その主旨はワシントン時間6日午後4時には英訳に書き換えられ、午後930分にはルーズベルト大統領に手渡されていた。

 

*ハル・ノート

ハル・ノート(Hull note)は、太平洋戦争1941128 – 1945815日)開戦直前の日米交渉において、19411126日にアメリカ側から日本側に提示された文書で、日米交渉のアメリカ側の当事者であったコーデル・ハル国務長官の名前からこのように呼ばれている

内容はアメリカが日本とイギリス、中国、日本、オランダ、ソ連、タイ、およびアメリカ合衆国の包括的な不可侵条約を提案する代わりに、日本が日露戦争以降に東アジアで築いた権益と領土、軍事同盟の全てを直ちに放棄することを求めるものである。

このハル・ノートがアメリカ側の最後通牒だったために開戦に至ったとされている。(ハル・ノートの前段には「極秘、試案にして拘束力なし」との記述があり、最終見解ではないが、実質的には妥協の余地はなく外交断絶になった)

 

12.日本軍は原爆投下を知っていた

 

日本軍は米軍の原爆投下を知っていたのに隠していた?

 

原子爆弾「リトルボーイ」はその名(日本語訳「小さな少年」)に違わず皮肉にも広島の本川小学校をめがけて落下し、上空580mの高さで炸裂した。爆風をもろに受けたL字型の校舎は、窓枠は吹っ飛び、壁がくの字に折れ曲がる。 運動場で遊んでいた子どもたちは一瞬にして真っ黒焦げになった。

日本軍は広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原爆攻撃を事前に知っていたことが明らかになった。

2011年に放映されたNHKスペシャル「原爆投下 活かされなかった極秘情報」によれば、「これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、想定外の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、『ある任務を負った特殊部隊』とみて警戒していたのだ。86日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、『第2の原爆』と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった」と。情報を掴みながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか、軍部中枢とそれに加担したメディアに対する憤りがこみ上げてくる。

ところでフランクリン・ルーズベルトの死去に伴い副大統領から大統領になり原爆投下を許可したハリー・S・トルーマン(188458 - 19721226日)は理由が定かでないが、日本人を相当嫌っていた節がある。

トルーマンは"Public Papers of the Presidents: Harry S Truman, 1945", pg. 212で広島や長崎に原爆を投下した理由について「 その爆弾(原子爆弾)を手に入れると我々はそれを使ってしまった。警告なくパール・ハーバーの我々を攻撃した輩、アメリカ兵捕虜を飢えさせ、殴り、処刑した輩、戦争に関する国際協定(ジュネーブ条約)を遵守しようともしなかった輩に対し我々はそれを使った。戦争の苦しみを長引かせないため に、多くの若いアメリカ 人の命を救うために使った」 と。

 

13.トレイシー日本兵捕虜秘密尋問所

 

日本の捕虜から軍事機密情報はアメリカに筒抜けだった。

 

サンフランシスコ郊外にあったトレイシー収容所。そこはアメリカ軍でも一部の者しか知らされていなかった特殊施設で、太平洋戦争で捕虜になった日本人から機密情報を入手し、戦争の遂行及び終戦工作に活用していた。この施設について中田整一が著した「トレイシー日本兵捕虜秘密尋問所」が興味深い。

本書によれば、日本の軍事機密情報は筒抜けだった。日本軍兵士は、「生きて虜囚の辱めを受けず」とする戦陣訓に縛られてはいたが、捕虜となった際に尋問で何は話してよいか、あるいは話していけないのか、教育を受けていなかった。戦陣訓に縛られた口の堅い日本人捕虜に対しては、様々な手が打たれた。捕虜には温かい衣服、旨い食事、健康チェックや治療、たばこなどが与えられ、バトミントンやバレーボールなどのスポーツに興じることも許された。

この尋問所の存在が近年まで秘密にされたのは、アメリカが捕虜の二人部屋で(ジュネーブ協定に違反する)盗聴していたことと日本に帰還した捕虜の人権(捕虜=恥辱であるという風潮)を守ったためとされた。

以下はノンフィクション作家の保阪正康の本書の評である。極めて的を得た評なので引用させてもらう。

 

「長年、太平洋戦争の史実検証にあたってきたが、ときに奇妙な事実に出会った。ガダルカナル戦で捕虜になった日本軍兵士が、戦後に日本に戻るや氏名を変え隠れるようにして生きた。やはり捕虜となった海軍士官が収容所時代の体験を決して口にしなかった。なぜだろうという私の疑問は、本書によって氷解した。

 アメリカ軍の捕虜尋問システムは高度な機械技術を用い、人間心理の分析を通して、機密情報も容易に入手する。それを精査してすぐに作戦行動に移す。昭和19年末から始まった日本本土爆撃はまるで日本の軍事施設や航空機製造工場がどこにあるかを知っているかのように的確に攻撃し、日本の軍事指導者や国民に戦争の残酷さを教えた。本書の冒頭には皇居の地図があり、天皇がどこで政務を執っているか、どの建物で生活しているかなど、すべてアメリカ側は把握していたとある。捕虜となった近衛兵が尋問に詳細に答えたのであろう、きわめて正確だ。

 こうした有用な情報を得るためにアメリカ陸海軍は1942年12月にカリフォルニア州バイロンに秘密捕虜尋問センター(暗号名トレイシー)を開設した。トレイシーは45年7月までの2年7カ月間、日本語に堪能なアメリカ軍将校が各地で捕虜になった日本軍将兵の中から重要情報をもつ者を選抜してこの地に連れてきて尋問したという。総数2342人の捕虜が1万387回の尋問を受け、1718件の報告がワシントンに送られた。もとよりこの内容は当時も戦後も一切秘密で、とくに日本側の捕虜は後ろめたさもあり決して洩(も)らさなかった。著者は、今はワシントンの国立公文書館で公開されている内部文書に目を通し、現地を訪ね、一部関係者の取材を含めて、トレイシーの実態を人道上の視点をもちながら読者の前に示した。その労を多としなければならない。

 日本軍将兵がなぜ機密情報を証言するに至ったか、その心理はどのように変化したか、著者は『時代後れの認識の軍律』戦陣訓などに因を求めている。トレイシーでの尋問第1陣の海軍士官は自らの戦争観を明かすことで尋問に心を開いていく。ゼロ戦の操縦士は実際にアメリカ軍の空母の内部を見せられて日本との戦力比を口にし、そしてゼロ戦の構造も明かしていく。航空機製造工場の内部について知る陸軍上等兵はスケッチと証言で詳細に伝える。そういう情報は偵察機で確認され、まもなくその工場は精密爆撃されている。

 尋問官たちは威圧、暴力は一切用いない。その代わりに『人間』として接しその悩みを共有する。もとよりそれはテクニックのひとつだが、それを承知しながら尋問にこたえる日本兵は心底では戦争終結こそ日本のためという確信を固めていったのだ。著者の視点は、それを諒解し、そして彼らの側に立って分析を進めているので読後は捕虜を裏切り者とは受け止めまいとの感想がわく。日本の軍事機構に顕著な『人間不在』が見事に逆手にとられていたのだ」

この秘密尋問所の膨大な記録は、アメリカ国立公文書館に保管されていた。ファイルの所在は殆ど知られておらず、中田氏の取材で明らかになった。巧みな「北風と太陽」を地で行く心理作戦。アメリカの強さの理由の一つはハードウエアばかりでなく、こういったソフト面の情報戦略に非常に強いということにある。

 

14.日本は戦費をどうやって調達したの?


太平洋戦争での膨大な戦費は「預け合い」によって賄われた。

 

日本人だけで314万人もの犠牲者を出した太平洋戦争では1937年に勃発した支那事変まで遡ると日本は中国やアメリカを相手に8年にも及ぶ戦いを続けた。

天文学的に上った戦費、しかしそれがどのように賄われたのか詳しい事はわかっていなかった。日本軍と深く結びついていた銀行の極秘資料が次々と見つかっている。この頃の国家予算の約80%が軍事費。
1943
3月、東条内閣は、大陸の戦線で生じる戦費は全て現地の銀行に「預け合い」で調達させることを決定した。横浜正金銀行(東京銀行の前身―現在の三菱東京UFJ銀行)は、中国聯合準備銀行と預け合い契約を結び膨大な儲備銀券を発行した。横浜正金銀行が終戦までに賄われた預け合い(実質の借金総額)は2800億円を超え、日中戦争が始まった時の国家予算の60倍となった。日中戦争から終戦までの8年間、戦費はわかっているだけで7559億円、現在の価値で300兆円を超えるが、少なくともその4割が預け合いによって賄われていた。

これも官僚が考え出した恐るべき調達手段だった。

 

*預け合い

一般的には、株式会社の設立や新株発行に際して、発起人または取締役が株式払込取扱銀行と通謀し、個人的借金をしてその借入金を会社の預金に振り替えることによって株式の払い込みがあったように仮装し、同時にこの借入金を返済するまでは預金の引き出しをしないことを約束する行為。現在は会社法により禁止されている。

15.アメリカにドイツの情報を提供していた元陸軍中将

 

ドイツの情報も日本の軍幹部からダダ漏れだった。なぬっ?

 

2次世界大戦の大罪を語るとき、岐阜県出身者には一人のヒーローと一人の“オウンゴール”をやった間抜けがいる。(筆者は岐阜にこだわりがあるので)
前者は外務省からの訓命に反して、リトアニアのカウナス領事館で大量の日本通過ビザを発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救ったことで知られる外交官杉原千畝(190011 - 1986731日)と後者は元陸軍中将大島浩(1886419 - 197566日)だ。
彼はヒットラーと親交が厚くドイツ軍の重要情報を得られる数少ない外国人だった。彼が日本に流す暗号電文は連合国側に解読されており、ノルマンディ上陸作戦など米英の作戦遂行に有利に活用されていたのが、明らかになった。
戦後「マーシャル・プラン」でも名を遂げたジョージ・マーシャル陸軍参謀総長(最終階級は元帥)はアメリカを勝利に導いたとして異例の出世をしているが、彼は大島浩が発信する情報が大変役に立ったと述べている。(このことは大島が亡くなる1975年まで公表されることはなかった)
American General George Marshall later noted Oshima as "our main basis of information regarding Hitler's intentions in Europe". The fact that the Allies were monitoring his diplomatic transmissions was not made known until after Oshima's death in 1975.

大島浩は第二次世界大戦前から戦中にかけて駐ドイツ特命全権大使を務め、日独伊三国同盟締結の立役者としても知られる。
彼は超がつくほどヒットラーの信奉者だったようで、アメリカのジャーナリスト ウィリアム・L・シャイラーは大島を「ナチス以上の国家社会主義者」と評している。
終戦後の極東国際軍事裁判(以下「東京裁判」)で大島は日独伊三国同盟の推進をしたとして起訴された。しかし法廷において大島は、「ヒトラーやリッベントロップとは、ほとんど会わなかった」と、事実とは異なる証言をし、また三国同盟を主導したことなど、自身に不利になることには一切言及しなかったそうだ。判事による投票の結果、大島は1票差で絞首刑を免れ、終身刑の判決のもと巣鴨拘置所で服役した。

16.日米開戦に反対だった廣田弘毅

 

本当の戦争犯罪人と割を食った文官

 

東京裁判は裁判ではない。裁判とは名ばかりで、連合軍が見せしめのための断罪をする儀式だった。しかし本来絞首刑になるべきものが終身刑で助かったり、極刑にするまでもない者がそうなったりしたのは何か腑に落ちない。

 

廣田弘毅は後者である。本心からの自由主義者であり部下から信望も厚く日米開戦には元々反対だった文官の廣田は、軍部にいいように利用され、貧乏くじを引かされたのだと思う。戦闘拡大時に外相・首相を歴任し戦争を防がなかった責任を取らされて死刑とはどう考えてもバランスを欠く。

たられば話は歴史に禁物だが、廣田には生きながらえて開戦にいたる真相を伝えて欲しかった。

知りたいのは、天皇が軍部の暴走をどの時点で御することができなくなっていたのかだ。彼こそが答えることができる数少ない人物だと考える。筆者は、1936年の二・二六事件よりずっと前から、天皇は軍部の暴走を抑えることができなかったのではと考えている。1931年の満洲事変を契機に満洲全域を占領して翌1932年に満洲国を建国した頃は「主権在軍」になっていたと思われる。

廣田は1930年から1932年まで駐ソビエト連邦特命全権大使を務めた。満州事変が勃発し、日本政府は軍を直ちに撤兵させる旨を各国政府に通告するよう駐在大使・公使に訓令を出したが、彼はソ連に通告をしなかった。彼の予想通り関東軍は撤兵することなく永久占領の形で居座り、駐在大使・公使が各国政府の信頼を失う中、ソ連だけが例外になった。彼はそういった実態になると確信していた。

ともかく軍部や近衛に責任を負わせる証言をした木戸幸一、うそ偽りで逃げまくった先の大島浩、陸軍大将だった荒木貞夫(1877526 - 1966112日)、海軍大将だった嶋田繁太郎(1883924 - 197667日)は、11人中5人しか死刑の賛成が得られず、わずか1票差で死刑を免れた。

もう一人戦犯を語るとき、忘れてならない人物がいる。石原莞爾だ。彼は満州事変を主導し、日本が戦争に向かうきっかけを作った人物にもかかわらず、東條英樹と対立して主流派から外されていたのが幸いして、東京裁判では証人として出廷したが、被告人として裁かれていないのもおかしい。

 

17.税理士も天下り?

 

税理士には試験合格組と国税局OBの天下り組の二通りあり後者が圧倒的に多い。

 

税理士は全国で約77千人いるが、現在飽和状態にあるといわれている。ほぼ9割は後者だそうである。先進国ではあり得ない。聞いた途端、目が点になった。

国税OBで財務書類や税務書類の作成がちゃんと出来る人はどれだけいるのだろう。実態は彼らの看板で仕事を取り、試験組が馬車馬のように働く。そのような構造が残念ながら実態だと推測される。

税理士は国家資格の中でも公認会計士や司法試験等に次ぐ超難関資格で合格するまでに数年を費やす人もいる。しかし試験組は苦労のわりには意外と収入が少ない。

一方国税OBはいい思いをしている。何故なら国税局は彼らに顧問企業を斡旋するようなこともする。斡旋される企業には「税務調査に入られにくい」という見えざる”交換取引”があるので企業側も実務が出来なくてもそういった国税OBを顧問に迎えるというメリットがある。

ともかく国税局(税務署)で23年仕事を続ければ、無条件で税理士資格が得られるって何か違和感がある。この人たちのせいで税理士になれなかったあと一歩の若者が資格を持てば、もっと企業が払っている顧問料は安くなるのは自明の理だ。

国家公務員の「天下り」が盛んに問題視されているが、視点を変えてこういった制度上の悪癖も同列で見直すべきだろう。

ついでながらあまり議論に上らない特別公務員である裁判官の天下りも質すべきだろう。彼らは競争の激しい弁護士に鞍替えしなくても希望すれば間違いなく公証人になれる。公証人の署名をするだけで年収3000万円を稼ぎだすつわものもいるとか。法の番人さん、なぜ善良な民間人には公証人の門戸は開かれないのだろうか?

 

18.消費者金融への過払い請求

 

数年前までは地下鉄車内の広告は消費者金融が目立った。今はその消費者金融から過払金を取り戻す司法書士や弁護士の広告が目立つ。こんな商売が流行るのは何かおかしい。

 

「司法書士ごときに仕事をとられてなるか」ある飲み屋で聞こえてきた話である。話の内容は過払い請求案件で客を取られた不満のようであった。弁護士事務所おぼしきグループの一員のその一言に酔いも吹っ飛んだ。正義と良心は微塵も感じられない。やくざの縄張り争いでもあるまいに。

件の司法書士法人の名前は、地下鉄車内の広告でよく見る元プロ野球選手が宣伝しているS司法書士法人だった。それにしてもあちこちで見かけけるこの類の広告。広告代が安いわけはない。きっと暴利をむさぼれるのだろう。

返済しきれないほどの借金を抱えてしまう「多重債務者」の増加が、深刻な社会問題(「多重債務問題」)となったことから、これを解決するため、平成18年、従来の法律が抜本的に改正され、この貸金業法が成立した。上限金利は利息制限法の水準(貸付額に応じ15%~20%)となる。利息制限法の上限金利を超える金利帯での貸付けは民事上無効だというのは当然として、過去に遡って返してもらえるとなると違和感がある。借り手は元々高い金利は承知の上で借りていたわけで貸金業者が可哀想だ。

多重債務者を救うべき法律が、悪徳弁護士や司法書士を救っている?簡単な手続きで取り戻した過払い金の23割を成功報酬として受け取るそうだが、そりゃ取り過ぎじゃござんせんか。弁護士も司法書士ももっと真っ当な仕事をして欲しい。

 

19.競争のない産業―日本の銀行

 

銀行間で金利やサービスの競争をさせるべきだ。ペイオフ制度があるのだから破綻する銀行があっても困らない。

 

まず冒頭に銀行は社会に不可欠なのでその存在を否定するつもりはないし、銀行出身の方で人格的に尊敬する人も複数あり、交友関係が今も継続していることを明記する。ここでは敢えて日本特有の問題点をあげつらいたい。

この国でこれほど保護されている業界はない。建設業界は談合で捕まるが、銀行業界だけは談合もどきがあっても捕まらない。なぜなら国がそれを容認しているからだ。例えば、筆者が新入社員だった1974年、振り込み手数料はなかった。確か翌年ぐらいに他行振込みで50円を取られることになって文句を言った記憶がある。それがいつの間にかこんなに高くなったのか。3万円以上の他行への振込みが840円?貯金の利子はほぼゼロなのに冗談ではない。そういった手数料はどの銀行もほぼ同じである。独占禁止法には抵触しないのか?

これもあまり話題にならないが、天下りに近い雇用斡旋システムもある。65歳まで出身銀行から行員は雇用保障されていると聞く。うらやましい限りである。

そもそも日本にどれだけ銀行があるのか。統廃合を繰り返しているのでどの時点かにもよるが、150以上はあるだろう。ペイオフ制度があるにも拘わらず、よっぽどのことがなければつぶれない。それがわが国の金融政策だ。倒産リスクがないって本当にうらやましい。時差もなく狭い日本にこの数は多すぎる。借り入れる際、都銀や地銀で審査基準や担保など差はなく、支店網もあるのだから銀行はこの半分で十分だ。

住宅金融専門会社(住専)問題や拓銀の経営破綻から始まった銀行の不良債権問題の根源は銀行が多すぎたことによる。住専の清算には6800億円の税金が投入された。

1970年代までの高度成長時代における間接金融の役割は大きかった。企業は長期資金もこの間接金融に頼っていた。しかし資本取引が自由化され、かつ企業が実力をつけ資本市場で資金調達ができるようになったのに当時の大蔵省が銀行を整理縮小しなかった。銀行は実業である産業界への貸出額が減り、住宅、不動産、ゴルフ会員権、絵画など手広く融資合戦をやった。後はバブルが崩壊し不良債権が積みあがり20年間経済成長の足を引っ張った。

金融についてはおかしなことを含め色々言いたいことがあるので最後の項で詳しく伝えたい。

 

20.金太郎飴のような個性のない街や住宅の景観

 

街や住宅は建物群としての調和や統一性はなくバラバラ。目障りな看板の林で満ちている。個性もなく雑然という言葉がぴったりだ。何とかしたい。

 

日本は税金の見返りがあまり感じられないと前に書いた。福利厚生面もあるが、公共事業もそうだ。けばけばしい公共施設の建設なんかではなく、町並みに統一性を持たせるとか、清潔にするとか。別に新しく作り変えることではなく、住民が住んでいて心地よいと思う景観や環境を作ることにだって税金は使われるべきだ。新しくするのではなく、エイジングのような手法でわざと古く見せることだってある。美観が増せば住民も喜ぶ。観光地なら人が呼べる。人が来れば税収が上がる。地味だが真に街のグレードを上げるそういった公共事業ってたくさんあると思う。

英語に住みやすさとか心地よさまたは生活環境を表すアメニティ(amenity)という言葉がある。欧米ではこのアメニティが極めて重要視されてきた。それには必ず既存の景観との共存あるいは景観は害さない前提があった。具体的には、生活インフラが電気、ガス、水道、光ファイバ、電波などにより進化を遂げていく中で、中世からの美しい景観はそれらの設備の地中化などにより保たれてきた。そこに住む住民の強い意志と地域の厳しい規制がそうさせた。概してどんなに近代化しても家屋の形状、壁や屋根の色に至るまで統一感があり景観を保っている。ビジネス街だって建物群としての統一感があり、絵になる場所が多い。

かつて日本も戦前まではそんな町並みがあった。いや昭和33年の「ALWAYS三丁目の夕日」の頃までは貧しくとも、絵に残せる趣のある街がそこいらに存在した。

なのに今や建物の統一性や調和が見られる街や住宅が少なくなった。あちこちの見苦しい電柱やけばけばしい看板の林にうんざりする。どの駅前も似たり寄ったり個性がない。雑然という言葉がぴったり、街の中にスポットでは芸術性が高いものがあっても周りがそうでなければ浮いてしまう。京都や高山の古い町並みのような場所はもうテーマパークでしか演出できない。

いつからこういう自分さえよければいい“エゴの文化”が芽生えたのか?

多分60年代後半スクラップ・アンド・ビルド(老朽化した建物・設備を一度廃棄や取り壊して、その後最新鋭の技術などを生かした新しい設備などに建替)の思想が流行し始めたころから建築基準などのルールさえ満たしていれば何をやってもいいことになった結果だろう。そういうことこそ行政は規制をすべきだった。

駅前や公園などの不釣合いなオブジェも何のためのもので一体何を表現したいのか筆者は理解に苦しむ。こんなオブジェに金を出す余裕があるなら、住宅地での電柱をなくし電線地中化の財源にすべきだった。

ともかく手始めに、欧米主要都市の個性豊かで美しい駅前を頭に描きながら、金太郎飴のような個性のない駅前の景観はなんとかならないのか考えをめぐらしている。

 

21.医療費控除をもっと広げよ

 

定期健診の費用も「医療費控除」の対象にしては?地方自治体がやれば住民は増え、税収も増える。

 

一定の所得がある人は、自己又は自己と生計を一にする配偶者やその他の親族のために医療費を支払った場合で医療費が10万円を超えた分の所得税率に応じた所得控除を受けることができる。

医療費控除の対象となる金額は最高で200万円。仮に医療費控除の対象となるものが300万あったとしても、200万円―10万円=190万円が最大値。仮に所得税率が10%なら確定申告をして19万円の還付を受けられる。実際は細々とした手続きや計算があると思うが、概ねそのようなものだと理解している。

だがこれでは不十分だ。医療費控除の対象とならないものが多すぎると思う。

一つを上げればばかにならない定期健診の費用。病気予防と言う点では住民にどんどん受けてもらえばいいのだが、検査項目が増えるとその分高くなり、個人それぞれの経済力によって、毎年受診しないとか、最低の検査で済ませるか、ということになってしまう。

国税レベルではまた百家争鳴の議論を呼び実現が難しいと思うが、地方では住民税を支払った税率に合わせ還付する制度を確立したらいいと思う。合理に適った「医療費関連費」の還付を受けられるメリットのある市町村には、人が大勢移り住んできて、活性化もするし、税収も増える。

例えばA氏は会社で行う健康診断の自己負担分が1万円、奥さんは5万円の人間ドック検診だとする。トータル6万円の費用の内、彼の住民税の税率が6%とすれば3600円が返ってくる。この金で健康を祝し、二人でちょっと高めのランチが楽しめる。

未病の段階で治療も出来、国や自治体が負担する医療費も抑えられ、かつ健康でいられる。

医療費控除の内容はその市町村の実情に合わせ広げたらいい。検診や通院のためのタクシー代も対象だ。バスや電車で行けないこともないが、時間や体力を考えると圧倒的にタクシーが便利で楽なこともある。止むを得ない理由の場合を除くのではなく、領収書があればOKとしたらいい。仮に件のAさんが片道1,000円払って病院に行った場合と公共交通機関(バスと電車で400円とする)を使って行った場合、還付で返ってくるのは前者が60円、後者が24円。騒ぎ立てることではない。

霞ヶ関の役人が使う黒塗りの車やタクシーにはジャブジャブ税金を使っているのに、こんな制度の改善は些細なことだろう。

 

22.日銀の支店ってなにやっているの?

 

日銀は庶民目線で金融政策を行え。 

 

日本銀行は本店の他にお城のように重厚で瀟洒な32の支店と14の国内事務所がある。どこも街の中心に位置するが、一般の人たちとほとんど接点はない。一体何をやっているのだろう?

日銀が発表する「短観」は、全国の大小一万社以上の企業が調査に協力し、同行の調査統計局にアンケートを直接提出しており支店は絡んでいない。

地方の経済情勢を的確に掴みたいなら、あんな一等地に威圧するような建物でなく、地域の典型的な商店街の一角の一階に店舗を構え、庶民の生活の匂いや動きを肌で感じるのがベストだ。公用車はいらない。公用で車が必要ならタクシーに乗って、ついでに「景気はどう?」って運転手に聞くのが一番いい。偏見に満ちてどうかなと思うものもあるが、的を射た意見も多い。日本のタクシーの運ちゃんは日本語がしっかりでき、総じて知識も豊富だ。様々な意味で先進国では日本のタクシーがナンバーワンだと確信する。(良質のタクシードライバーが多いのは旧運輸省の行政指導のお陰だ。素直に当時の官僚さんたちに感謝している)

ともかくもしもあんな仰々しい建物なら、支店は大阪圏、九州、北海道と3ヵ所で十分だ。ポストを作るための支店は無用だ。それに伴う人件費削減などで1千億円は生まれ国庫を潤すはずだ。

因みにアメリカでは全米12地区に中央銀行の機能を果たす連邦準備銀行(federal reserve bank)が1行ずつあり他の銀行に貸し出す準備金(reserve)を持っている。米国はこの12の銀行を連邦準備制度理事会(FRB)が監督するという分散的な中央銀行制度を採用している。本土だけでもその広さと最大3時間の時差も関係しているのでこれだけあるが、アメリカと同じ体制にするにしても時差もない日本はせいぜい3支店でいいと思う。

ところで1987年までFRB議長(日本なら日銀総裁の地位)だったポール・ボルカーは清貧で知られ、在職中マンハッタンのぼろアパートで生活していた。すべてにおいて庶民感覚を大事にする人だったようだ。

1982年後半、3年続けた金融引き締め政策を断念し、緩和を実施した。これによってアメリカ経済は活気を取り戻し、GDP・産業稼働率は向上し、失業率は低下した。庶民の塗炭の苦しみを肌で感じられたからこそそういった大胆な緩和政策をタイムリーに実行できた。翻って日本の日銀総裁はとても偉くまるで殿様だ。

村上ファンドへの投資で1473万円という巨額の利益を得た日銀の福井俊彦元総裁は国会の参考人招致で「安定的な高利回りとは思っていない。結果的に(年間利回りが)17%を超えていた」として利殖目的であることを否定して、「本当にど素人で(詳細な契約内容を)覚えていない」と釈明したのは記憶に新しい。庶民感覚ゼロ、加えて投資のイロハも知らないど素人に金融行政の舵はとってもらいたくない。この人が日銀のプリンスだったそうだが、王子様ではなく日銀の路上生活者と言われるような泥臭い人に総裁をやってもらいたい。

ところで「日本銀行員の心得」の7(2)(2) に「現担当職務と個人的利殖行為との間に直接的な関係がなくとも、過去の職歴や現在の職務上の立場等に照らし、世間から些かなりとも疑念を抱かれることが予想される場合には、そうした個人的利殖行為は慎まなければならない」と書いてあるそうだ。何かずれているんですよね。

 

23.小学校で教える英語

 

現在の文科省が推し進める小学校の英語教育は誤りだ。 

 

「(日本では)年間5060万人の大学卒業生が出ているのにTOEFEL(PBT)のスコアで600点以上の、英語を仕事に使える卒業生はなんと0.2%程に過ぎない。残りの99.8%は中学・高校・大学と少なくとも10年間は英語を学んできたはずなのに、その英語を仕事では使えないまま大学を卒業しているのだ。ここにわが国の英語教育の根本的な誤りと損失があることはいうまでもない」と中島嶺雄国際教養大学理事長・学長が昨年の文藝春秋の四月号に載せているが、それが正に日本にいる若者の英語力の実態であると筆者も思う。

昨年依頼を受けて、ある地方都市で小学校の英語教育の現場を参観した。

結論から先に言えば、教えられている生徒がかわいそうだ。英語と言うよりはアルファベットを使ったゲームや歌のお遊び。英語教育のあるべき姿からはほど遠い。

生徒がより効果的に実用英語を習得し、中学に入っても継続して力を伸ばしていくためには、聞き取り(リスニング)と基礎的な音声や表現力の学習にもっと力を注ぐべきであると感じた。ALT(外国語指導助手)が担当する授業では、徹底して発音や基本的な言い回しを教えるべきである。かつて知り合いの小学1年生と3年生が、アメリカの現地校に父親の赴任に伴い入学し、ESL教室(English as a Second Language 英語を母国語としない人達のための英語教育)のお陰で半年ほどすると、ほぼ問題なく授業について行けるようになり驚いたが、上記のようなことを徹底的にやらされたからである。語学は遊びではない。アメリカでないのでそんなに短い時間で上達するなんて到底望めないが、現在の英語教育とは比べ物にならない基礎力が身につくはずだ。

悲しいかな現在文部科学省(文科省)による指導要領は、小学校の外国語学習の目的は「英語を勉強する」ことではなく、「体験的に学ぶ」ことにある。あくまで英語に「慣れ親しむ」のであって、「覚える」ことは求められていない。ゲームが多いというのもそういった活動を通して、英語を楽しいものとしてとらえていくことにあるからだそうだ。だから実態として、英語ができない先生が英語を教えることが可能になる。正直なところ英語の教員資格をもっている先生の多くだって実用英語となるととんとだめなのに、別の教科の教師が英語を使って教えるのにはいくらなんでも無理がある。

かつてゆとり教育なるものを提案し実行した偏差値優等生の官僚がいたが、結果はご存知の通り失敗に終わった。勉強の嫌いな人間にいくら時間をやっても無駄だ。おちこぼれをなくし全体のレベルアップを図るなら、「北風と太陽」よろしく、本人が自主的に勉強したいと思わせること以外ない。勉強嫌いを集めて、何故嫌なのかを聞いてみると案外ヒントにある。ただし決定的に改善する魔法はないが。

話がまた脱線したが、それこそ小学校の英語の学習内容はとんちんかんな官僚に任せず、ESL教室で学び実力をつけた経験のある子どもたちからヒアリングして作成してみてもいいと思う。

 

24.中学からの英語

 

正確さに拘ると英語は話せない。

 

中学以降の実用英語教育について一言。受験勉強で発音が大事だと言いながらearyearcarscardsの発音の区別ができない先生がいるとすれば生徒にとっては不幸である。教えてもらっても使えないからである。仮定法過去だとかめったに使わない表現などの例外的用法は正確に教えられても、発音となると曖昧なのはバランスを欠く。

発音は大事だが、文法は70%程度正しければいいと思う。ネイティヴだって誤りもあるし、文法で説明のつかない慣用句だって多いからあまり神経質にならないことだ。

例えばタクシーを呼んでくださいはCall me a taxi.(そのまま訳せば「私をタクシーと呼べ」になるが)と普通は言う。英語として正しいのはCall a taxi for me.だが、前者が慣用句である。

アメリカで、布はfabric 兄弟はsibling、タクシーはcab 不動産としての家はproperty、額はforehead(フォリッドではなくフォアヘッドと発音)status(ステータスでなくスタータスと発音)・・・日本で教えてもらえなかった言葉や発音が一般的に使われているのを知ると一体あの中学と高校の6年間は何だったのだろうと思えてならなかった。

受験英語では、揚げ足取りというか重箱の隅をつついたような問題で成績に差をつけようとしているきらいもあり、もしそうなら語学教育の本質を見誤ったものとして改めるべきである。そしてもっと日常使われる実用英語を学ばせることに方向転換するのが望ましい。

参考までにビートルズや村上春樹にだって英語の間違いがあるのだから小さなことは気にする必要はない。

 

例えばTicket To Ride(涙の乗車券 )の歌詞 

 

I think Im gonna (going to) be sad, I think it's today, Yeah
The girl that's driving me mad is going away
She's got a ticket to ride
She's got a ticket to ride
She's got a ticket to ride
but she don't care

 

下線部は本来doesn’tが文法的には正しいが、これが英語のできない移民の若者言葉であり、それが作詞したジョン・レノンの意図であれば間違っているとは言えない。

 

Imagine の歌詞の2

Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace

 

下線部はtooでなくeitherが文法的には正しい。

 

ついでながらビートルズ関連では、Norwegian Woodの邦題「ノルウェイの森」は歌詞の内容からして明らかに誤訳である。woodが単数形なので、強いて訳せば「ノルウェーの家具」(あるいはその一部)あるいは「ノルウェーの木材」となる。村上春樹は最初誤りに気がつかないでそのタイトルを使ったが、ベストセラーになり英訳されてやっとそのことが分かったのではないだろうか。

ビートルズの曲には、8 days a week(日本風「一週間に十日来い」)というありえない歌だってある。これも誤りと言えるだろうか。

日常会話ではどちらかと言えば正確さよりもsense of humor (ユーモアのセンス)の方が大事で、多少の誤りは気にする必要がない。文法ではなく、まずは英語で言葉を発し相手に伝えようとすることに重きを置くべきだろう。

最初は苦労するだろうが、双方向の意思疎通が徐々にできてくると生徒の関心は話す内容に重きが置かれるようになる。郷土や日本の文化について聞かれたときそれを知っていなければ話せない。そのもどかしさは何にも増して語学を勉強する牽引力につながる。相手のことをより理解すること、より自分の言っていることを分かってもらうことを目指し、自ら努力を重ねるようになると思う。

 

 

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次のコーナーは肩のこらない「金融のこぼれ話」。

財務に携わらないサラリーマンでは意外と金融の仕組みや海外の金融の常識などを知らない人が多い。

金融及びそのしくみは本来分かり易いはずである。

金融とは何かについて素人向けに「池上彰のそうだったのか」的なものを作ってみた。内容としては、「企業における金融」と「個人が接する金融」について思いつくまま、こんなことを知っておくといいのかなと思えるようなことや興味をそそりそうなことを取り上げた。

アメリカでの金融事情についても触れたが、多分住宅ローンのあり方が日本とはかなり違うのに驚くのではないかと思う。

メディアが取り上げないテーマを中心にほとんどが経験に基づく意見である。読者のそれまでの常識(または推測や認識)と違うと思われただけでも趣旨は伝えられたことになり満足である。

本文はできる限り分かり易くすることを心がけた。しかし元々金融用語は難解なのでそうするのに限界があったのは否めない。筆者の力不足を何卒ご容赦願いたい。

筆者の偏見もあるが、以下は事実に基づく意見だと思っていただければ幸いである。

 

25.金融のこぼれ話

 

(1)「金融」とは

 

金融とは金銭の融通、つまりお金のやりとりのこと。

 

金融には返済義務があるもの返済義務がないものがある。

 

A. 返済義務がある金融―間接金融直接金融

 

①間接金融―銀行などの金融機関経由の資金調達

AさんとBさんの間に銀行Cが入る言わば又貸し

例えばAさんはC銀行に100万円の預金をする。金利は0.01%。

銀行CBさんに100万円を金利2%で貸し付ける。(銀行が1.99%抜く)

 

②直接金融―CP*や社債などによる資本市場(キャピタルマーケット)からの資金調達

AさんとBさんとの貸し借り

AさんはBさんに100万円を金利0.5%で貸し付ける。

 

③直接金融のメリット・ディメリット

 

メリット

Aさんは銀行に預けるより0.4%高い金利で運用できる。

Bさんは1.5%安く借りられる。

 

ディメリット

BさんがAさんにお金を返せないリスクがある。

 

B.返済義務がない金融

 

一般的には「エクイティ・ファイナンス」という言葉が広く使われている。

企業が新株を発行してお金を集める(資金調達する)こと。このお金は将来返済する義務がない。

因みにエクイティ・ファイナンスのエクイティは株式、ファイナンスは資金調達の意味。

 

CPは「(4)企業によるリスクがない運用とは」にて解説 

 

(2)アメリカの不動産と住宅ローンの実情

 

①市場で取引される不動産物権は新築よりも中古が断然多い。中には築100年なんて物件でもざらに取引されている。そもそも基礎がしっかりしているのと何度もリフォーム(英語ではリノベーションまたはリモデル)されてきているので、信頼性が高い。

 

②日本と比べると断然借り手が有利である。

 

例えば住宅ローンの返済ができなくなったら、家あるいはマンション(アメリカではアパートまだはコンドと言うのが一般的)をあけ渡せばそれで終わり。残債は払う必要はない。

 

期限前弁済は手数料やペナルティなしでいつでもできる。例えば金額も特に制限がなく、小額の100ドルの部分的期限前弁済も可能。貸し手の銀行などの金融機関からは(たった)100ドル減額した新返済スケジュールを無料で送ってくる。

 

仮に住宅ローンを受けている物件の不動産価値が上がればホーム・エクイティ・ローンと言ってその担保余力に対し借入が可能。

例えば購入時10万ドルの物件で、頭金2万ドル、借入8万ドルで住宅ローンを組んだが、2年後不動産価値が上昇し、売却すれば15万ドルで売れるとする。ローンの残債はこの時点で7万ドルあったと仮定し、15万ドルの80%の担保価値を貸し手が認めたとする。ホーム・エクイティ・ローンが組めるのは15万ドルx80%―7万ドル=5万ドルとなる。

 

③銀行事情

金融行政による弱い銀行に足並みを揃えさせる護送船団方式はまったくなく、銀行間の競争は厳しい。住宅ローンのような長期の貸付は主流ではなく、2,3年の短期ローンが多くを占める。需給の関係で金利は高く設定でき貸し手の収益の源である。短期の理由は、借り手の信用リスクはせいぜいその期間ぐらいしか読めないという極めて合理的な理由からだ。

 

④その他

上記2.の住宅ローンについては、借り手にとって費用化できる税制面の優遇も色々あり、日本とは比べ物にならないほど有利だが、説明に時間を要するのでここでは割愛する。

 

(3)個人ができる賢い資金運用って?

 

①お金の「運用」について

 

運用は本来資産運用の意味で、資産を運用して資産を増やすこと。

運用方法には、敢えて分けるとすると①貯金、②投資、③投機の3種類がある。それぞれ(資産が減る)リスクリターン(利回りなどの“儲け”)が反比例の関係にある。因みに①はリスクがないが、リターンは少ない。③はその正反対。

デフレ(物価が下落し資産価値も下がる現象)時代では、個人の場合、「資産を増やす」ことではなく「資産を減らさない」ことが肝要である。

 

②投資の例―投資信託

 

投資信託のほとんどは「運用損」または「逆ザヤ」、つまり資産が目減りするリスクが高いので要注意だ。売り文句は「定期的に配当金がある」だが、これは自分で投資した元本を取り崩している場合が多い。例えばAさんが100万円の投信を購入したとする。一年後運用損が出て評価が90万円になっても、金融機関は分配金を1%払う。管理手数料(信託報酬)が仮に0.5%とすればAさんの資産の現在価値は次の通り。9010.588.5(万円)

翌年また運用損があり評価が80万円となれば、Aさんの資産の現在価値は以下の通りとなる。8010.578.5(万円)参考までに投信を販売している担当者で投信を買う者はほとんどいない。理由を聞くとインサイダー取引に抵触する可能性があるのでと言い訳をするが、社内でちゃんとした手続きをすれば担当者でも投信は購入できる。要はこの実態が分かっているのと、実際に運用を行っているファンドマネージャーは名ばかりで経験も浅く、「逆ザヤ」はあっても資産が増えるのは期待していない。彼らの実力が分かっているので、インサイダー取引を(建前の)理由に上げてやらない。因みにアメリカの投信は数多く種類があり、運用結果は公表され、ネットなどでいつでも入手できる。現在でも年間15%以上の運用益を計上するところもある。これなら管理手数料を相当額払っても意味はある。

 

③デフレ時代の確実な運用

 

デフレの時代の運用で確実なのは銀行預金。金利が低いのでたんす預金という人もあるが、泥棒に押し入られるリスクもある。現金を銀行の金庫に預かってもらったと考え、本来なら保管料をとられるのが、わずかだが手数料がもらえる(金利をそう考える)と割り切る。(金利条件がいい)業績の良くない銀行を選び1000万円以内で預金すれば一番確実である。

仮に5年間デフレが続き平均物価が5%下がったとする。相対的に元本の価値が5%アップしたことになる。                  

 

(4)企業によるリスクがない運用とは

 

「(1)『金融』とは」で直接金融について簡単に説明した。

その中で、企業の資金調達の方法には社債(転換社債も含む)やコマーシャルペーパー信用力を有する大企業が市場から短期資金を調達するために発行する無担保の割引約束手形のこと。以下CP)などが一般的だが、このCPの発行やその運用について若干触れたい。

 

 
 

運用はどんなものもリスクがあるから、リスクがない運用はないと思うかもしれない。

しかしCPを使って信用力の高い企業はそれができる。どうして?

 

 

 

 

 

 

 

 

以下は筆者の経験から。

もう20年以上前にNYの金融子会社でCPでの資金調達もしていた。

CPの発行枠は2億ドル(1ドル80円換算で160億円)あり、その半分以上はCPを繰り返し発行し(CPは短期なので最大でも満期は1年以内)、それで調達した資金を関連会社に貸し付けていた。また余った枠はCPを発行し、資本市場で「運用」していた。

どう運用したか?以下はその具体例である。

自社(証券用語で発行体)のCPの格付けがAAA(トリプルA)とすれば(格付けは信用力や経済情勢で動く)まずこの信用力を背景にCP20百万ドル発行し、その資金でA(シングルA)の格付けのCPを購入(つまり運用)する。その金利差が1%(金融用語で100ベーシス)あれば、年率ベースにして20万ドルの純利益が転がり込む。

自らの経験から、CPの格付けがAクラス、かつ短期であれれば、まず相手先の貸倒れリスクはない。期間については、例えば場合によっては一泊二日(金融用語でオーバーナイト)もある。2,3週間のものもある。運用期間は一銘柄の平均が2,3ヶ月。

勤務していた5年間で平均50ベーシス(つまり0.5%)の鞘抜きができたので100億円x0.5%x5年=2.5億円以上は利益が生まれたことになる。(運用成績は記録が残るので眉唾ではない。念のため)

金融収益はこのように実業ではなく虚業によるものが多い。

虚業といえば、今回紙面をたくさん要するので説明しないが、裁定取引(アービトラージ)なども、理論的な価格差などから来る歪を利益に変える手法である。

それに比べればCPの信用力の違いで稼ぐ鞘抜きはまだ可愛いものかもしれない。

信用力の高い企業がややそれよりは低い企業の信用力の差を利用し利益を得る。目からうろこが落ちる思いだった「リスクフリーの運用」の実例である。

 

(5)本当にあった「忍者ローン」

 

先に「(2)アメリカの不動産と住宅ローンの実情」でアメリカでの住宅ローンがかなり借り手に有利であるのが分かってもらえたかと思う。逆に言えば貸し手のリスクはその分高く、結果的にサブプライム住宅ローン危機を招き、2009年のリーマン・ショックの遠因になった。

悪名高いサブプライムローンについては人口に膾炙しているので詳しくは触れない、冒頭の忍者ローンというめちゃくちゃなローンもあったので紹介したい。

正確にはNINJA loanのことでNo Income, No Job, No Assetsの略語(つまり収入なし、職なし、資産なしの人に貸し付けた住宅ローンのこと)。日本では報じられることはなかったが、本当にあったアメリカでの住宅ローン。背景としては2001年~2006年頃まで続いた住宅価格の上昇により、バブル期の日本のようにいずれは高値で転売できるムードの中そんな人でも住宅が購入できた。一部は借り手が売買契約上の頭金を自分で用立てせず売買が成立する物件もあった。

例えば不動産の購入金額20万ドルとする。買い手の頭金が10%の2万ドル(この頃は住宅価格が右肩上がりで頭金も借り手にとって有利)で契約により3ヵ月後の売買(専門用語でクロージング)が成立したとする。売却時、金融機関は18万ドルしか用立てしないが、その3ヶ月間に既に物件の担保力が上がり20万ドル以上となり、借り手はホーム・エクイティ・ローンを使って別の金融機関から2万ドルを借り入れ頭金に充てることもできた。つまり一銭、いや1セントの手金がなくても住宅購入が可能だった。

知り合いの米国アナリストによれば、忍者ローンは後日命名されたとのこと。借り手が一切金も払わず踏み倒して忍者のようにドロンと消えたからNINJAとは言い得て妙である。

 

サブプライムローンの解説

 

サブプライムローンはアメリカのサブプライム層(要は貧しい世帯)向けの住宅ローンで、通常の審査には通らないような信用度の低い人向けの住宅ローン。一般的に他のローンと比べて債務履行の信頼度が低く、利率が高く設定される。2006年頃までこれらのローン債権は証券化され、世界各国の投資家へ販売されたが、2007年夏頃から住宅価格が下落し始め、返済延滞率が上昇し、住宅バブル崩壊へと至った。これと共にサブプライムローンに関わる債権が組み込まれた金融商品の信用保証までも信用を失い、市場では投げ売りが相次いだ。その後、幾度もの大幅な世界同時株安が起こった。世界中の金融機関で信用収縮の連鎖がおこり、CDS (クレジット・デフォルト・スワップの略称で債権発行体の債務不履行に対する保証・保険を金融商品化したもの)の破綻と並び、2007年の世界金融危機発生の種をまいた。

 

(6)株価はどう決まる?

 

株価はどうやって決まるのだろうか?これに答えはない。

かつて経済学者のケインズは金融市場における投資家の行動パターンを表す例え話とし「美人投票理論」がある。

玄人筋の行う投資は「100枚の写真の中から最も美人だと思う人に投票してもらい、最も投票が多かった人に投票した人達に賞品を与える」となった場合「投票者は自分自身が美人と思う人へ投票するのではなく、平均的に美人と思われる人へ投票するようになる」とした。株価はそういった相対値なので、必ずしも好業績を上げている企業の株価が買われ株価を吊り上げるわけではない。

思い起こせば、80年代末期には、土地、株式、絵画、ゴルフ会員権が暴騰した。日本の土地を売ればアメリカ全土が買えてお釣りがくるといわれたバブルも終焉を向かえる。90年代初頭のバブル崩壊以来、78年の間に、国内の土地評価額の減少は670兆円、株式の時価総額は310兆円減少し、消滅した資産価格の総額は約1,000兆円になった。

筆者はこのバブルの崩壊を海外から見ていた。今でも覚えていることがある。21年前の9081日イラクがクウェートに侵攻した。この頃日経平均は29,000円辺り、ダウ平均株価は2,900ドル辺りだった。(因みに当時の為替は150/ドル前後だったと記憶している)

簡易的に数字としてはダウ平均株価の10倍が日経平均だった。

20121月現在、日経平均については銘柄の入れ替えがあったものの、前者が8,700円台、後者が12,700ドル台。前者は三分の一、後者は4倍になり、相対的には後者は前者の7倍になったことになる。だれも解説しないが、当時に比べ米国株が日本株の7倍の価値になったとは到底思えない。客観的に見て一方が過小評価され一方が過大評価されているのは歴然としている。

なぜそうなったか、これも筆者の意見であるが、両国の政府の金融政策の違いにあると思う。アメリカの家計の金融資産はほぼ50%程度が株式や投信で運用されており株価が下がることは国民を裏切ることになる。一方日本の家計の金融資産(不動産は含まない)は総額約1400兆円ともいわれるが、その半数以上が預貯金・現金で保有されている。株はまだまだ投機性が高い資産として見られおり、株価を育てる金融政策もなされていないのが根本的な原因だと思われる。ともかく日本の株は売られすぎており割安だし、1ドル80円でも円は割高だ。(85年のプラザ合意の時1ドル250円だったから3倍になったが、購買力平価*からしても1ドル120円あたりが適正水準だと思える)

 

*購買力平価:平易に説明すると、ある商品が日本では200円、アメリカでは2ドルで買えるとすると、1ドル=100円が購買力平価。

 

(7)ゼロサムゲームとは

 

元々は参加者の得点と失点の総和(サム)が0(ゼロ)になるゲームのことだが、経済活動に於ける投資または投機手法の一種。

簡単な例え話をすると、ある2人がそれぞれお金を出し合って、あるゲームに参加し、そのゲームの勝者が拠出した金をすべて手に入れる。当然勝者は全額もらい、敗者はなしとなる。下世話な言葉にすれば「一か八か」である。

ここでは詳しく説明しないが、金融の世界ではリスクを取る者とリスクを取らない(ヘッジする)者との取引もゼロサムゲームと言える。「(5)本当にあった「忍者ローン」で触れたCDS信用リスクを移転する派生商品)もこの一種である。

 

ゼロサムゲームには主催者側の取り分がないものあるものがある。

ないものの簡単な例は、AさんとBさんは明日雨が降るかどうかそれそれぞれ100円賭け、そのお金を誰かに預ける。

Aさんは雨が降るに賭け、Bさんは降らないに賭けるとする。翌日雨が降り、Aさんはその誰かさんから200円をまるまる手にする。

 

主催者側の取り分があるものの代表格は、競馬・競輪・競艇などギャンブルだ。かつての丁半賭博がもっとも分かり易い。主催者(胴元)側の取り分(寺銭)を除けば、敗者から集めた資金を勝者で分け合う仕掛けになっているためゼロサムゲームといえる。

寺銭がせいぜい10%程度ならまあ許せる。だがパチンコは1015%、競馬は25%、と言われているので、ゼロサムではなく胴元が喜ぶ云わば「マイナスサム」ゲームだ。

宝くじも仕組みはゼロサムと言われるが、そうではない。なぜなら宝くじの寺銭は52%(逆に配当率はたったの48%)と最近知った。明らかにぼったくりであり、「マイナスサム」を遥かに超える超マイナスサムゲーム。大当たりの確率は極めて低いのは一目瞭然だ。よって筆者はもう宝くじは買わない。

 

参考までに、株式投資はゼロサムゲームではない。やや専門的な説明になるが、株価の上昇局面では価値が創出され、下降局面では価値が減少する。一つの銘柄で見ると、株価が上昇した場合、株価の値上がり幅×発行株式数分の価値が生まれている。市場全体で見ても同じことで、全体の株価が上がれば時価総額が増え、その増えた分だけ価値が生まれている。つまり、上昇局面では、時価総額が増えた分だけみんなが得をし、下降トレンドでは時価総額が減った分だけみんなが損をする。

つまりゼロサムゲームでは株式のように全員が勝者になる可能性もあるし、その逆もある。

 

(8)個人用の小切手

 

アメリカでは個人でなにか買い物し、その支払い(決済)をする場合、現金、クレディットカードからの引き落としや銀行振り込みではなく小切手で支払いをすることも多々ある。通常の公共料金、家賃などの支払いも小切手が主流だ。今回はこの個人の小切手について説明したい。

当たり前だが、小切手は自分の口座がなければ(小切手帳は)作れないし使えない。この国に住む外国人の場合、口座を作るにはソーシャルセキュリティナンバー(社会保障番号)を取得する必要がある。アメリカでは戸籍制度がなく、ソーシャルセキュリティナンバーはいわば戸籍の役割もする。小切手は普通郵便で相手に送るが、郵送途中でなくなるリスクや誰かに取られるリスクがあるのではと危惧する向きもあるかも知れない。しかし受取人が明記されているので、仮に第三者が換金しようとしても(受取人がその人宛に「裏書」した場合を除いて)できない。いずれにしても受取人も銀行でそのまま換金できるわけでなく一旦は自分の口座に入金する。小切手で決済する限り必ず小切手の出し手(振出人)と受取人の口座の出入りが履歴に残るのだ。小切手だからといって書留で送る必要はない。アメリカのことだから郵送途中に紛失することもよくあるが、その時は自分の口座がある銀行にキャンセルドチェックをかける。キャンセル料は取られるが、その発行した小切手は後で出てきても使えないので安全なのだ。

当然ながら、郵送すれば、振込み手数料は発生せず、筆者がいた時、郵便切手代は25セント、2011年現在41セント(約33円)と安いのがいい。

自分の口座から現金を引き出す場合、キャッシュカードで引き出す場合もあるが、引き出し額にリミットのない自分の小切手を使うこともよくある。受取人を自分にして自分の小切手にサインし銀行の窓口に持っていく。免許証などの自分を証明するもので本人確認をして現金を受け取る。

銀行窓口での金銭出納係のことをテラー(teller)というが、たまに数え間違えるので受け取りの時、必ず金額を確認する要がある。ある銀行のマネージャークラスから、営業時間が終わり、しめると帳簿と現金が合わないことがあると聞いた。どうするのか問うたところ、百ドル以内なら再チェックしないで雑費処理(あるいは雑収入処理)で済ませるような話だった。大雑把だなと思ったと同時に日本のように1円でも帳簿と現金を合わせるためのコストをかけるのにやりすぎではないのか疑問も湧いた。コストについては人件費を含めてである。因みにテラーの年収は1990年頃せいぜい2万ドルでこの年収では賃料が高くてマンハッタンには住めない。当時日本の銀行の窓口業務をやる女性とはかなり年収に差があると率直に思った記憶がある。(逆にそれだけ待遇がよい分優秀な女性が採用できるので数え間違いなど誤りがない訳であるが)

 

(9)実需がない金融

 

「(1)『金融』とは」のところで述べた金融は実業でのお金のやりとりだが、「虚業」でのお金のやりとりについても触れておきたい。ここでの虚業とは一言で語れば「実需」を伴わない金融で破綻リスクが高い。

バブル期に、既に死語になった財テク(財務テクノロジー)という言葉が一世を風靡した。特筆すべきは証券会社に運用を一任した営業特金(特定金銭信託)とか信託銀行のファントラ(指定金外信託)などの金融商品(株や債権などが運用対象)があり、信用力の高い企業はただ借り入れるだけで大きな運用益を得たのだ。仕組みとしては、俗に「にぎり」(10億円借入すれば一年後は例えば1%の利益10百万円が約束)という証券会社や信託銀行との約束事があり、当時は確実な運用方法だと信じられていた。しかしやがてにぎり、損失補てんや飛ばし*などは違法と判断され、91年に野村証券などによる証券不祥事として社会問題となった。

虚業といえば、金貸しが一瞬して合法的に金を巻き上げる昔話があるので紹介したい。

これは4半世紀以前に何かで読んだ民話の受け売りで、筆者のオリジナルではない。(トルストイの「イワンのばか」の一つのストーリーだったかもしれない)とまれ金融の不思議(ばかばかしさ)を問うものとして印象的だった。記憶は曖昧だが、本質のポイントはずれていないと思う。

 

昔あるところにイワンという青年がいた。必要があって金貸しに1フランを借りに行った。金貸しは1年後に金利1フランをつけてくれるなら喜んで貸すと言った。イワンは承知して1フランを金貸しから借り、喜び勇んで帰ろうとすると金貸しが言った「1年後、元本の1フランと金利1フラン、合計2フランを払うのは大変だから、今1フラン払ってしまえばその分楽になる」イワンはそれもそうだと1フランを金持ちに返済した。歩きながらイワンは考えた。「確かに金貸しの言うのはもっともだが、手の中の1フランはなくなり、一年後に元本の1フランを返すのは何か変だ」と。

金貸しは正に濡れ手で粟。おかしいけど虚業では成り立つ話である。

 

円の為替市場も8割は投機筋からの売り買いであり、典型的な虚業である。実需は2割しかない。因みに一日平均で約30兆円、日によっては約50兆円の取引があるから介入は焼け石に水だ。個人の小口外国為替証拠金取引(FX)投資家を意味する俗称を欧米では「ミセス・ワタナベ」と言う。語源は日本人の主婦を中心とした女性やサラリーマン投資家から来ている。最後に、投資に絶対儲かるとか美味しい話はない。仮にあるとすれば独り占めしたいから、勧誘しないのは自明の理。自らも肝に銘じておきたい。

 

*飛ばし:粉飾決算のために子会社などに簿外債務を移転することを言う。

 

蛇足

 

今回突っ込めなかったが、知っておきたいいことがたくさんある。読者の皆さんはどうだろうか?

 

JTの社員で禁煙している社員の数。

・タバコ税の引き上げ後の売上と数量などの内訳。

JRAに勤務する一般職員で馬券を買う人はいるのか?

・宝くじ売り場のおばさんたちの人数と年収

・そのおばさんに採用されるにはどうすればいいのか?

・そのおばさんたちは宝くじを買うのか?

・交通違反をする警察官の数またはゴールド免許を持たない警察官の数。

・パチンコ業界に天下る警察OBの数。

・手錠、拳銃などを扱っている商社やメーカーはどこ?

・ヤメ検は弁護士として使えるのか弁護士の本音を知りたい。

・新聞の再販制度。休刊日を同じ日にするなどカルテルではないのか?

・各地の市営のバスの運転士、学校給食、清掃などに従事する公務員の年収。

・全国のホームレスの数と分布。

65歳以上の万引きの推移(増えているはず)。

・生活保護家庭が高級車や携帯を所有している不思議。

・刑務官の数と年収、世襲の割合。

・赤い羽根募金の団体に天下る役人の内訳と年収。

・通勤時の女性専用列車は他国にもあるのか?逆差別ではないのか?

・信濃町はいつ創価学会の町になったのか?

 

議員定数の削減

 

国会議員は、衆院の小選挙区定数の「05減」、比例代表定数の80削減なんてちまちましたことはしないで少なくても衆参両院とも半数に減らすべきだ。

地方だって、情報公開が進み市会議員や県会議員も利益誘導型から政策提案型になったはずだが、政策の提案も出来ないで行政の作った議案の賛否だけをするなら定数を減らしその分減税すべきだ。

以下の数字は仮にということで考えてみたい。

都道府県議会議員2700名、市町村議会議員55000人=57700

平均年収が600万円とすれば、3462億円半額で1731億円のコストセーブになるはずだ。