2012年11月25日の中日新聞の夕刊で朝鮮学校の無償化についての記事がありました。
愛知県豊明市の朝鮮学校高級部(高校)に通う生徒たちが、無償化実現を訴え、『選挙でも忘れないで』という内容の手紙を書き、新聞各社や文部科学省に近く郵送で投書するというもの。
朝鮮学校の無償化問題は、制度の始まった2010年度から日朝関係や政治に翻弄(ほんろう)されてきましたが、日本で生まれ育っている在日の子どもたちには責任があるわけではないので、外国人学校も日本の私立高と同様、授業料の一定額が国から支払われる就学支援金の対象となっているということなので、文部科学相は朝鮮学校に対しての適用も前向きに考えるべきなのではないかと思います。
ちょうど名古屋駅の笹島の周辺に位置する朝鮮初級学校から授業参観のご案内をいただいたので、私はLAの視察が入っていたので残念ながら行けませんでしたが、私のスタッフに行ってもらいました。
子供たちはみんな一生懸命に授業を受け、楽しそうに舞踊を踊っていたそうです。
<スタッフのレポート>
約束時間10時前に到着。
ロビーで名前を告げると学校長が出て来られ、挨拶をし名刺交換。
ちょうどロビーではご父兄のバザーが行われていた。
手作りのタオル、給食袋、ヘアゴム等々・・・
一昔前の日本の小学校でもよく見られた光景である。
これは「オムニ会」という父兄の催しであるが、学校運営の一環として寄付するのであろう。
まず建物、校舎、水飲み場、下駄箱、体育館は確かに老朽化が進み、お世辞にも綺麗とは言えず、スリッパもボロボロであった。
このあたりが資金難であることを彷彿させる。
各クラスを覗く。
1階は幼児のようで先生と一緒に「リズム体操」をやっていた。
しかも上半身は裸である。
あいにくの雨だったが天気のいい日は外で行うらしい。
そして次にタオルを手に取り、なんと「寒風摩擦」である。
これには驚いた、今時「寒風摩擦」を実施している幼稚園など最近は見たこともない。
続いて2階。
ここは低学年のクラスだそうだ。
こうしてみると子どもたちは「少人数制」なのか、子どもが少ない。
日本語の授業だったが「走る」など動詞を教えていた。
隣の4年生のクラス。
社会の授業で「徳川家康」のパネルが黒板に貼ってあった。
ハングルでの授業でさっぱりわからなかったが、時折出てくる、「家康」という単語は聞き取れた。
先生は今日は特別なのか民族衣装である「チマチョゴリ」を着ていたが、これが実によく似合い、授業のハングルといい朝鮮にいる錯覚さえしてしまう。
次に2年生のコンピーターの授業。
見た事も無いパソコンを使用していたが中国製である。
アルファベットの間違い探しをやっていた。
画面に出てくるアルファベットの間違いを正確に早く答えるのだそうだ。
これが実に早い。
一緒にやってみたが、私の実力では敵わなかった。
この教室もそうだが、黒板の横には「金正日」の絵が飾られてあり、民族的アイディンティーを感じる。
体育館。
理事長と名刺交換。
これから「合唱演奏」と高学年による「舞踊」が行われるというので是非と言われる。
北朝鮮の音楽や歌は何度も聴いたことがあるので、いわゆる革命歌っぽいものと思ったが、まったく違った。
歌の題名や歌詞を聞けば良かったと後悔した。
続いて「舞踊」。
これは見事でとても良かった。踊りながら笑っている表情はまさに「北」の普段メディアから流される映像そっくり。
これは日本では見られないし、まさに来客をもてなす為の踊りだと感心した。
言葉に表すとしたら「綺麗」「優雅」、女性を象徴するような柔らかい踊りで、動きひとつとっても、華麗で繊細である。
日本では、ダンスといえば動きの「キレ」を重視しがちだがこれはまったく別物。
盆踊りとも違う、この踊りが民族的象徴のひとつと言えるかもしれない。
<感 想>
朝鮮学校という閉ざされがちな学校を今回見て、決して豪華で整った設備ではないにしろ、子どもたちの明るさ素朴さ、真面目さは日本と変わらないということに感銘した。
くわえて学校関係者の大らかさと解放的な対応には意外に驚いた。
彼ら(在日)が「共生共存」を唱えるのは政治的意味合いも含めて様々な困難があるが、一部の政治家だけで議論すべき問題ではないと思う。
在日であるということだけで教育の格差や不平等が子どもたちに与えてしまうことになれば、その影響は多大であることを十分理解すべきである。
政治的に考えると北朝鮮の政治姿勢は決して褒められるものではないし、国民的感情としても非常に複雑なところなのではないだろうか。
朝鮮学校無償化の提案も起きている昨今、国交も結んでない国の学校を我々の税で賄うという反対議論を払拭するには、まだまだ時間がかかるのが現実である。
以上
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